C-C-B

子供の頃は、もう当然ながら雑誌に付いてたソノシートや、あと犬のおまわりさんなどのドーナツ盤を買ってもらったようです。(記憶にない)両親とも、特に音楽好きというわけではなかったですが、昔でいう高価な“ステレオ”がうちにありました。

小学生になると、たのきんトリオも全盛。僕は男なのに俊ちゃん派でした。(当時、男の子はマッチで、女の子は俊ちゃんでした。)あと、西遊記が好きだったのでゴダイゴの曲は好きでしたね。しかし、ここからしばらくドリフ好きになっていきあんまり記憶がありません。例外で寺尾あきらの「ルビーの指輪」は覚えてますね。
小学校も今の住んでいるところに転校した小学校高年になると、キャンプとかで上級の人とかがチェッカーズがいいだのって話からまた毎週トップ10番組を見るようになります。
そこから、マセた同級生は杉山清貴や安全地帯へ行くのですが、僕は何故かC-C-Bにはまります。クラスにC-C-B好きの同級生(男)が何故か、やたら多かったなあ。

やっぱり「Romanticが止まらない」とか「スクールガール」を聴かされました。ドラムの笠浩二の高音が魅力だったみたいで、すぐにEPコレクション開始です。
僕はベースの渡辺英樹のファンでした。
もうアルバムは『僕たちNO-NO-NO』が出てたのですが、とてもじゃないけど買えないので持っている友達にLPからテープに録ってもらい毎日聴いてましたね(笑)
あと、毎週彼らのラジオが面白くて、録音してコレクションしてました。ギターの関口誠人なんか、お笑い的要素も持ってまして本当好きでしたね。
世間的にはアイドルなのですが、彼ら曲も書けます。一連のヒット曲は松本隆・筒美京平の黄金コンビによるものですが、彼らもみんなソングライターです。ということで1回目の影響
を受けたアーティストはC-C-Bです。

以下、簡単に活動歴を。

83年 BEACHBOYSの日本版を目指し、ココナッツボーイズとして渡辺、関口、笠の3人で「キャンディー」でデビュー。アルバムは1st『マイルド・ウィークエンド』リリース。

84年 シングル「瞳少女」からキーボードの田口智治、リードギターの米川英之が加入。2nd『ボーイズ・ライフ』をリリース。ここまで鳴かず飛ばずだった・・・

85年 C-C-Bとして再デビュー。「Romanticが止まらない」の大ヒットによりブレイク。「スクールガール」「ラッキーチャンスをもう一度」「空想KISS」といずれも大ヒット。この年、アルバム3rd『すてきなビート』4th『僕たちNO-NO-NO』の2枚をリリース。
この年の紅白歌合戦にも出場。

86年 染めてた髪を黒髪に戻す。シングルは「元気なブロークンハート」関口作曲による「不自然な君が好き」、唯一のオリコンNO.1シングル「ないものねだりのI Want You」をリリース。アルバムは5th『冒険のススメ』6th『愛の力コブ』

87年 収録曲もリリースごとに、メンバーの曲が増えていくが人気をピークに3月関口誠人が脱退。この年から4人組で活動。シングルは「2MUCH,I LOVE U.」渡辺作曲による「原色したいね」「抱きしめたい」アルバムは7th『石はやっぱりカタイ』シングル「2MUCH〜」以外はメンバーのペンによる楽曲収録。

88年 4月、渡辺作曲の「恋文」リリース。遂にメンバーオリジナル曲のみの8th『走れ☆バンドマン』リリース。徐々に米川が編曲に関わるようになり、ハードロック色が強くなる。10月、渡辺作詞・米川作曲の「信じていれば」、12月にラストアルバム『信じていれば』リリース。

89年 解散を発表。4月ラストシングル「LOVE IS MAGIC」リリース。活動の集大成をまとめた初のベスト盤も2枚リリース。10月日本武道館のライブを最後に解散。

好きなアルバム順ということになると、
1.信じていれば
2.冒険のススメ
3.走れ☆バンドマン
4.僕たちNO-NO-NO
5.石はやっぱりカタイ

といった感じですね。初期の渡辺、関口の楽曲も好きだし、後期になると米川、田口がハードロック/プログレの色を強めてくるあたりもたまらないのですが。当然ながら、コーラス・ハーモニー好きになったのも彼らの影響大だ。

彼らのルーツを探るラジオ番組でも、凄い刺激を受けましたね。BECH BOYS(SUFER GIRL、BARBARA ANNをカバーしてました。)YES、POLICE、DEF LEPPRD、GN'R、なんかを初めて聴いたのも彼らの番組だし。
C-C-Bを好きと答え、笑われたことはよくあったのですが、アルバム単位で聴くなど色々教えてもらいました。
今の僕があるのは紛れもなく彼らのお陰なのです。

2003/9/20